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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)739号 判決

原告 中村光一

被告 合資会社青柳質店

主文

被告は原告に対し金三四、八三三円及びこれに対する昭和三三年二月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分し、その一を被告の、その四を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告は「被告は原告に対し金一六四、〇〇〇円及びこれに対する昭和三三年二月一三日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告代表者は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の主張する請求原因、事実

一、昭和三一年八月二五日原告は被告との間に雇傭契約を締結し、同日被告から仮辞令と題する書面(甲第一号証)の交付を受け、且つ同年九月三〇日に契約書(甲第二号証)が作成されたのであるが、右雇傭契約の条項中本件請求に関係のある部分は(1)被告は原告を臨時の債権債務整理役兼相談役として給料一ケ月につき金三五、〇〇〇円で雇傭し(2)被告の都合により原告を解雇する場合には三〇日以前にその旨を通告するものとし、これによつて原、被告間の雇傭関係が終了したときは、被告は原告に対し退職手当として金一〇〇、〇〇〇円を支払うというにあつた。

二、昭和三一年一一月五日被告は自らの都合により原告を解雇する旨を原告に通告した結果、原、被告間の雇傭関係はその三〇日後に終了するに至つたので、原告は被告に対して退職手当金一〇〇、〇〇〇円の請求権を取得した。

三、原告は右のとおり被告に雇傭されていた期間中における給料のうち昭和三一年一〇月分の残額金二九、〇〇〇円及び同年一一月分金三五、〇〇〇円右合計六四、〇〇〇円の支払を受けていない。

四、よつて原告は被告に対し右退職手当金及び給料合計金一六四、〇〇〇円とこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三三年二月一三日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

第三、被告の主張する答弁

原告の主張事実は全部否認する。

一、被告は昭和三一年八月二五日原告に被告の訴外社会福祉法人久我山病院に対する金一、八五〇、〇〇〇円の債権の取立を約二ケ月の間に完了する約でその報酬金を金一〇〇、〇〇〇円と定めて委任したことはあるが、原告の主張する如く原告を雇傭したことはない。

原告の主張する仮辞令及び契約書は、原告から弁護士の資格を有しない原告が債権取立の委任を受けることにより弁護士法に抵触することのないようにするために必要であるとして特にその要望があつたため、作成されたものであつて、原、被告間に雇傭契約が締結されたことに基いて作成されたものではない。

二、被告は、前記の如く原告に委任した債権の取立が進捗しないばかりか却つて原告にその委任をしたことが債権取立の妨げとなつている事情が判明したので、昭和三一年一一月五日書面を以て前記委任契約を解除したものであつて、もとより原告に対し解雇の意思表示をしたことはない。

三、被告は原告に対し前記委任契約存続中にその報酬金の一部として原告主張の金六、〇〇〇円を含む若干の金員の支払をしたことはあるけれども、原、被告間に雇傭契約が締結されていないのにこれに基く給料を被告が原告に支払うようなことはあり得なかつたのである。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

一、昭和三一年八月二五日原、被告間に契約(如何なる種類のものであるかは、ここでは論外とする。)が成立したにつき原告に被告の整理兼相談役を命じ、本給として毎月三五、〇〇〇円を給する旨の記載のある右同日附の仮辞令と題する書面(甲第一号証)を被告の代表社員青柳敬四郎が作成して原告に交付した外、右両名により同年九月三〇日附で契約書(甲第二号証)が作成され、これに被告は原告が被告の臨時整理兼相談役として勤務することになつた際になされた退職手当金一〇〇、〇〇〇円の支払に関する契約を再確認し、その支払は被告がかねて訴外社会福祉法人久我山病院に融資した金一、九五〇、〇〇〇円(当時金一、八五〇、〇〇〇円)の債権につき返済確立と同時とする旨が記載されたことは、当事者間において争われていない。

二、ところで原告は昭和三一年八月二五日原、被告間に雇傭契約が締結されたと主張するのに対して、被告はこれを争い、同契約により被告から原告に対し被告の債権の取立委任がなされた反論するので、以下はこの点について判断することとする。

民法の規定するところによると、雇傭は当事者の一方が相手方に対して労務に服することを約し、相手方がこれにその報酬を与えることを約することにより成立する契約であるのに対して、委任は当事者一方が法律行為(いわゆる準委任と称せられるものの場合においては、法律行為でない事務)をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することにより成立する契約である(第六二三条、第六四三条及び第六五六条参照)ところ、委任においても受任者が受任事項を処理するにつき労務を提供することが必要ではあるが、それは契約の本質的内容をなすものではなく、委任者が受任者の人物、識見及び技量等に信頼してその自由裁量に従つて約定にかかる事項を処理してもらうことをまかすところに委任の要点があるものというべく、委任と雇傭とを識別する基準も主としてこの点に求められるべきものである。さて前掲一の事実と成立に争いない甲第一乃至第三号証に証人中村ミツエ及び同毛利さくゑの証言並びに原告本人及び被告代表者青柳敬四郎の尋問の結果とを綜合すれば、前述のとおり昭和三一年八月二五日原被告間に契約が締結されるに至つた経緯及び当該契約の内容についてつぎのような事実が認められる。

(1)  昭和三一年七月中被告の店舗に金借を頼みに来た原告に対し被告の代表者青柳敬四郎が原告の申出を断りその主たる理由として被告が訴外社会福祉法人久我山病院に貸付中の債権の取立ができないため資金繰りに困つている事情を打明けたところ、原告は債権取立の経験があるから、被告のため早急に右の取立をしてあげようと申出たので、被告の代表者青柳敬四郎は原告にこれを依頼することにした。

(2)  被告の代表者青柳敬四郎が原告に右の如く債権の取立を依頼するに当り、原告は右取立をおそくとも二ケ月位で完了するつもりであるが、そのためには当時原告が就任していたテレビ販売の会社の代表者を早晩辞任しなければならないので、原告が右債権の取立に従事する間における生活費の補償として毎月金三五、〇〇〇円を被告において原告に支払つてもらいたいとの要望が原告からあり、両者の間にそのとおりの約定がなされた。

(3)  当時被告は前記病院に対し金一、八五〇、〇〇〇円の貸金債権を請求中であり、そのうち約金二〇〇、〇〇〇円については、同病院において債務の存在を争つていたのであるが、ともかくも被告の主張する債権全額の取立ができた場合には被告は原告に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払い、もし取立が一部不能となつた場合には双方協議の上被告から原告に対する支給金員を適宜減額すべき旨の約定がなされた。

(4)  原告が右債権を如何なる方法によつて取立てるかについては勿論、これに関する事務を処理するためにする原告の勤務の時間及び場所については格別の取極めも被告からの指示もなく、一切を挙げて原告の裁量にゆだねられていた。

(5)  原告は同年八月中旬頃から被告の依頼にかかる仕事を始めるに当り、前記病院と交渉するにつき原告の資格及び権限を証する書面が必要であると称して、被告の代表者青柳敬四郎をして同月二五日甲第一号証の仮辞令を発行させるとともに原告との連名の契約書を作成させ、更に同年九月三〇日原告の要望により右契約書はこれを簡略化した甲第二号証の契約書に書換えられたが、右三通の書面はいずれも原告があらかじめ文案を記載したものに被告の代表者青柳敬四郎が署名捺印して作成されたのである。

(6)  その後前記病院の院長から被告の代表者青柳敬四郎に対し電話により原告のような者を債権取立のために差向けるのでは交渉に応じ難い旨の意向が表明され、以後原告が債権の取立に従事する途が閉されたところから、原告は被告の代表者青柳敬四郎を説いて、訴外石井マキから被告に対してなされた仮処分に対する異議申立及び青柳敬四郎とその本妻との離婚調停申立等につぎつぎと手を出すようになつたが、いずれも所期の成果を収めるに至らず、結局被告は同年一一月五日付書面を以て原告に対し一切の事務処理を打切つてもらいたい旨通告した。

上掲各証拠中右認定に反する部分はこれを措信せず、他に右認定に牴触する証拠はない。

三、以上認定した事実に基いて考察するに、前述のとおり昭和三一年八月二五日原、被告間に締結されたことが当事者間に争のない契約は、原告がかつて債権取立に従事したことがあるということであつたところから、被告の代表者青柳敬四郎において原告のこの点に関する知識、経験及び手腕に期待し、被告の訴外社会福祉法人久我山病院に対する債権の取立を原告に委託することによりその目的を達成しようとして締結されたものであつたが、中途において成就の見込のないことが判明したものであるところ、原告は被告との従来の契約関係を利用して右債権取立以外の被告の事務及びその代表者青柳敬四郎個人の事務の処理にも従事することになつたけれども、これにも成功を収めることができず、結局被告から原告に対し契約解除の意思表示がなされることになつたものであつて、要するに右契約の当初における目的は被告がその債権の取立をそれが実現した場合に報酬を支払う約定で原告に委任するにあつたものと解するのが相当であり、しかもその成果を挙げることが覚束なくなつた以後に原告が他の事務の処理に着手することになつた際に特に原、被告の合意により従前の契約の内容を改訂したとか新たな契約が締結されたとかいう事情は到底看取できないのである。換言すれば昭和三一年八月二五日当時においてはもとよりその後においても原、被告間に原告の主張するように雇傭契約が成立したことを認め得る証拠はないことに帰着する。もつとも成立に争いのない乙第八号証、乙第一〇号乃至第一六号、乙第一九、二〇、二二、二五、二六、二八、二九号証には原告が被告から給料の前借をしたような記載がみられるけれども、上掲認定に照すときは、いずれも正確な記載をしたものとは認められないから、右乙号各証は、原被告間に雇傭契約が締結されたことについての証拠とはなし難い。

四、さすれば原告が被告に雇傭されていたことを前提として、被告に対して解雇に基く退職手当金及び雇傭期間中における給料の残額金の支払を求める原告の請求は理由がないといわなければならない。

しかしながら先に認定したところにより知り得られるとおり、原、被告間に委任契約が締結された際に、被告は右契約の存続する間における原告の生計費を補償するため毎月金三五、〇〇〇円ずつを原告に支給することを約定したものであり、この金員を原、被告間の雇傭契約に基く給料と主張する原告の主張の採り得ないことは上述のとおりであるけれども原告の被告に対する右金員の支払請求権発生の原因となるべき事実に関する限り、原告の主張と当裁判所の認定との間にはその同一性において欠けるところがないことは明白である。

そうだとすれば原告は被告に対し前示約定を理由として、その未払金(未払料金としてではないが)の支払を請求し得る権利があることを肯定すべきである。ところで原告と被告との間の委任契約が被告からの解除により昭和三一年一一月五日限り終了したことは前出二、特にその(6)において認定したところに徴して認められるところである(なお、前顕甲第三号証によると、被告の代表者青柳敬四郎は右甲号証をもつて原告に対し昭和三一年一〇月末日限り原告の被告のためにする事務処理を打切つてもらいたい旨申送つたことが認められるけれども、このように解除の効力発生を遡及させ得ることの根拠につき被告からは何等の主張も立証もなされていないので、原、被告間の委任契約が解除された日時については本文記載の如く解さざるを得ない。)。してみると原告は被告に対し前記両者の約定に基く一ケ月金三五、〇〇〇円の金員のうち原告が給料の一部と主張してではあるが被告から支払を受けたことを自認する金六、〇〇〇円を控除した昭和三一年一〇月分の残額金二九、〇〇〇円及び同年一一月一日から五日(原、被告間の委任契約が解除により終了した日時)までの分金五、八三三円(銭位切捨)の合計金三四、八三三円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録に照らして明らかである昭和三三年二月一三日から完済まで民法所定の年五分(原告の主張する率)の割合による遅延損害金の支払を請求することができるのである。

五、よつて原告の本訴請求中右に判示した範囲のものを認容しその余を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九二条を、仮執行の宣言につき同法第九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 半谷恭一)

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